2019/01/31

千字文




この町、チェンマイで何年か前から書道教室に通っています。


練習の基本は、中国で書のお手本にもなっているという1,000字の異なる字からなる長詩、


『千字文(せんじもん)

 千字文は「天地玄黄」から「焉哉乎也」まで、天文、地理、政治、経済、社会、歴史、論理などの森羅万象について述べた、4字を1句とする250個の短句からなる韻文である。(Wikiより引用)




ちょうど昨年の夏ごろから、毎週一時間ずつ、こつこつと書き続けていた小筆の楷書がようやく完成したので今日、それを全部繋げてみました。


長さは、約4m30cm

こうして繋げてみると、右から左にかけて成長の度合いがよく分かる。笑


不思議なことに、筆にはその日その時の気分や集中力、体調や場の雰囲気などが如実に表れるんですね。


だから、こうして1,000文字並べてみると、その一つひとつが浮かび上がってくるようで・・・


ちょっと怖い。笑





最後に記した「足歩」の文字は、私の雅号。


亡くなる直前まで、書をたしなんだ私の祖父の名前から一文字と、私自身の名前から一文字を足したもの。


大事に使っていきたいと思ってます。



2019/01/28

YAOちゃんのレシピ本 "the YAO of cooking"



皆さん、こんにちは!


最近がんばってGYMで身体を鍛えていたはずですが、うっかりと喉をやられてしまいここ数日間、八代亜紀さんみたいな声になっている私です。(例えが古い?笑)


今日は、すかーっと気持ちの良い一日でした!


そんな清々しい日に、久しぶりのお友達に会いすごくうれしかったので、ご紹介します。


その名も YAOちゃん。


ショートカットでいつも太陽のような明るい笑顔が魅力的な女の子です。 


元々、土の家つながりで出会ったYAOちゃんは、この町の郊外にある土の家の集合ビレッジ、PUNPUN 出身の料理家さん。


今では、市内に2つのお店を持っています。


旧市街の中に位置する



  Birds Nest Cafe


そして、


  Ole Gourmet Mexican 


(専用HPが見つけられなかったのでWebで検索してみてくださいネ) 



自然農法に関心があるYAOちゃんの扱う食材は、いつも新鮮。

 
そして、美味しい!


なかなか、他では食べられないメニューを生み出す天才です。


そんなYAOちゃんのベジタリアン料理のレシピ本が今、市内のカフェなどで売られています。



実際に手に取ってみたら分かるのですが、なんとこちら、全て一つひとつ丁寧に手で綴じられているのですね。


YAOちゃん曰く、この本を出版した当時(2013年)の部数は4千部だったそう。


その数、全てが 手綴じ なんだそうです。


Oh・・・ その作業たるや・・・




とてもしっかりと作られているので、 丈夫でながーく使えること間違いなし!と、ご本人から、満面の笑顔で太鼓判が押されました!





本の中では、料理のレシピだけでなく自然の中での暮らしも紹介されています。


また、本の構造上、ばちっと開けるのもいいですね!
 

キッチンに置きながら、お料理もできるかも・・



もちろん、レシピだけでなく写真も文章もYAOちゃん自ら書き、撮影したもの。




著者ご本人に了承を得て目次、撮影しました。


YAOちゃん曰く、


「写真?! ぜんっぜん、オッケー!貧しくて本が買えない友達にはたまにコピーもしてあげてるよ♪」


って・・・ 人が・・・ 良すぎる・・


そんなYAOちゃんの人柄に感動して、わたくし、その日は即、お買い上げ 💞


一冊880バーツと洋書並みのお値段ですが(というか洋書ですが)、このクオリティーなら十分頷けます。


私の知る限りではここ ↓↓↓ に行けば確実に手に入るようなので、興味のある方は是非行って手に取ってみて下さいね。



  The Localist (ターペー門近く)



     Pun Pun Market(空港近辺の交差点より南方面)
 

(両店ともにWebで検索したら地図が見つけられます) 



ちなみにこの本は英語バージョンですが、今ちょうど日本語版も翻訳中で今年中にはチェンマイ市内で販売が開始される予定なんですってよ!奥さま。(コソコソ)


また、第2弾のレシピ本(肉料理もあり)も執筆中だそうです。


うーん、たのしみ!!!


以上!!


YAOちゃんの料理本の紹介でしたー💕💕 ひゅーひゅー
 


自ら著作の本を持つYAOちゃん。本とおなじ笑顔や~ww




2019/01/24

【心の森②】シン(戒律)




 
チェンマイに長期滞在しているEさんは私がとても尊敬している日本人女性だ。80歳を過ぎたEさんは20年以上前にご主人に先立たれ、その後タイに住むご子息夫妻を頼ってチェンマイに移住。現在は、ピン川近くの閑静な住宅街にこじんまりとした家を借り静かに生活をされている。ご自宅の家具は最小限に抑えられ、小さくとも広々とした空間はいつもきれいに整頓されている。元々、日本では茶道の先生をされ短歌も詠まれていたというEさん。彼女の持つシンプルな生き方は、茶道から学んだといつか話してくれたことがあった。


「和敬静寂(わけいせいじゃく)」


 Eさんが好きな言葉だ。
「和」は和やかに、「敬」はお互いに敬いながら、「静寂」は心清らかに美しく・静かにという意味を持ち、お茶の心を表しているのだという。


 すっと一本筋の通った考え方を持ちながらもそれを押し付けることなく、会話の端々にはユーモアがにじみ出る。ご自分から交友関係を広げることはなくともEさんを慕って訪れる人は多く、そんな人々が家を訪問するといつもさりげなくお茶を点てて下さったり美味しい家庭料理を振舞って下さったり。私もEさんのお宅にいると温かい気持ちでいられる。たくさんおしゃべりをした後、会話の余韻に浸りながら安らかな気持ちで家路につく。Eさんと出会ってから学ばせて頂いていることは実に多い。


数ヶ月前に私がご自宅にお邪魔した時、仏教についてお話をしている中でEさんが以前、日本で「在家得度式」を受けていたことを知った。在家得度とは出家せずに世俗で普通の生活を営みながら仏道の教えを守るための儀式で、お釈迦さまの弟子となり生涯をかけて自らの意思で仏教の戒律を守り、日々精進してゆくことを誓うものだ。


在家の信者が守る仏教の戒律は5つある。

-生き物を殺さない

-盗みをしない

-性的な過ち(配偶者以外との性行為等)を起こさない

-嘘をつかない

-酒や麻薬など自らを酔わせるものを摂取しない


この5つの戒律を土台とすることで、私たちは自らの心を浄化し普段の生活を営みながら日々修行を積んでゆく。この世に生まれた全ての生命を敬い慈悲の心を持つこと、自分の欲求に任せて人のものを盗らないこと、自己中心的な幸せに溺れて性的な過ちに走らないこと、自分や他者を侮ることなく純粋で正直な気持ちで接すること(真理、事実のみを語る。逆に罪を生む言語は慎むこと)、自らを酔わせることで罪を犯すきっかけを作らないこと。


「だからと言って、がんじがらめに戒律に縛られるのではないのよ」とEさんは笑って言った。


「戒律を守ることは逆にシンプルな心を持てて気持ちいい。自分にとって心地よいから守るのよ」


自らのために守る。確かにこれら一つ一つは周りと良い関係を築くため、人間の持つべき基本的なモラルとして大切なことばかりだ。しかしこんな風に肩の力の抜けた言い方ができるのは、きっとEさんがこれまでの人生の中で様々な紆余曲折を体験してきているからこそなのだろう。


一方、仏教初心者である私はまだ戒律を常に意識し厳守することで精一杯。毎晩一人で就寝前に行なう内観タイムでは一日の行動を思い起こす度に落ち込むことも多く、自分を観察すればするほど、心の清掃をしようとすればするほど心の底の汚い部分にぶつかり、その度に辛くなる。心地よいなんてまだまだ遠い世界。自らと向き合うことはこんなに苦しいことなのかと感じることの方が多い・・・。


* * *


私は山奥の森で修行する僧侶を思った。僧侶の守る戒律は5つどころではなく227もある。それにも関わらず森の僧院のプラ・アーチャーン(師僧)をはじめとする弟子の僧侶たちは皆イキイキとしている。肌にもハリがあり話すことはクリアで聡明。苦しんだり悩んだりしている様子は外からは見受けられない。
一度、私はそのわけを聞いてみた。


「空(くう=ワーンプラオ)だからだよ」


プラ・アーチャーンは言った。


「心をゆったりと保ち

多過ぎず少な過ぎず、程よい状態を保つ。

逸る気持ち、成功や完成への期待なんてしなくてもいい。

今、この瞬間にある呼吸に意識を置き、そこでベストを尽くしなさい。

焦らなくてもいいんだ。

日々それをきちんと守ることで次第に、ゆっくりと

心は強く育ってゆくからね」


* * * 


私たちは、社会で働き、多くの人と接しながら生きている。その中で戒律を重んじること自体に執着していると、逆にその本質は見えなくなるのかも知れない。


いつの日か私にもEさんやプラ・アーチャーンのように穏やかに笑える日が来るのだろうか。


いや、そんな未来のことも、今考える必要はないのかも知れない。






「心の森」 
チェンマイ郊外 山奥の僧院にて
2013年9月執筆  

2019/01/06

2019年 お正月に。




あけましておめでとうございます。


今年は皆さん、どこで、どのように新しい年を迎えましたか。


私は例年、夜中まで起きていられなくて、ほぼ布団の中で迎える…のですが



今年はイベントのお手伝いのため、大晦日は夕方から外出。
カウントダウンは、大勢の人達と賑やかにコムローイ(熱気急)を上げながら、新年を迎えました。
(お陰で、元旦は大寝坊 😅)


***


元旦の夕方。近所のお寺に行きました。
こちらのお寺では年中ほぼ休みなく毎晩、人々が集まりお坊さんと一緒に読経をし、ご説法を聞くことができます。
この日もお正月行事などは特になくて、30-40人位の方が集まっていました。読経が終わると、私たちに向かい合って座っている一人のお坊さんが用紙を取り出して遠い東北部イサーンにいらっしゃる、ある高僧の方から届いたばかりという、新年のご挨拶を読んでくださいました。とても長いご説法で、そこにいる人たちが皆 静かに聞き入っていました。


「私たちが人間として生まれたことには意味があります。私たちの睡眠時間が例えば6時間としたら、一日に私たちが与えられた時間は18時間。その18時間をあなたは、どのように過ごしますか」


その言葉で始まるご説法の一つひとつは、当たり前のようでいて、実は私たちが日常忘れていることが多くありました。タイの元旦には正月の特別な儀式などはあまりないけれど、こうした節目で年配の方や尊敬する方から言葉を頂く機会があり、改めて良い文化を持つ国だなーと感じました。


*** 


時間をムダにしないよう!! と気をつけて過ごして早一週間?!
 (ほんとかな??結構のんびりしちゃった気もするけど。笑)


今日は、1月6日。今年最初の新月です。


「新月」は昔から、これからの指針や目標を掲げるのに良い日とされていますよね。
また、この機会に何か新しいことを始めるのも良いみたい☆


実はそんな新月の今日、私はある場所でとてもいいな、と思える「言葉」に出会いました。


それは・・・





「言葉のない世界」 


この世は日々、言葉で埋め尽くされています。ただ黙っていても、私たちの頭の中には常に言葉や思考が行き交っている状態です。




私も普段、言語を使った仕事をしています。
でも頭がいっぱいになった時、または静かに瞑想したい時など。
まっすぐと前を見て、この言葉をそっと唱えてみる。


そして、同時に、言葉を持たない存在を感じてみる。


例えば、赤ちゃん、または犬や猫などの動物達、土の中の虫、水中にいる魚達。
周りにある、木々や草、花、水、風など・・・





「言葉のない世界」



不思議なことに、このひと言を心の中で唱えてみるだけで、


自分もそれらと同じ存在であることが感じられます。


地球は、動いている。


限られた時間の中で、私たちは今、何ができるのか。


それはただ頭で考えるだけではなく、時にはこんな風に、


「感じてみる」のも良いのかもしれません 🌿


***





さあ、今年もはじまり!


気合いを入れて、でも時にはゆるやかに、やっていきましょうー。